伝説の日本刀:小太刀來国俊

伝説の日本刀:小太刀來国俊 小太刀來国俊は現在まで多くの名品を伝える來一派の名工來国俊の作で同作中最も小さく美しい作品であると言われています。
日光二荒山神社に伝わる国宝の小太刀で刀身は細身で腰反りが高く優雅な姿をしています。
刃長は54・39㎝、刃紋は沸出来の細直刃で詰んだ小板目肌をしています。
数ある日本刀の中でも反り、刃紋、地肌全てにおいてバランスのとれた上品な出来となっており日本刀の美しさが最も良く分かると言われる一振りの一つとなっています。
銘は錆びていて「俊」の文字は判別出来ませんが「來」の字に特徴があり、來国光などとは違うという事が明白であると言われています。
來国俊の作は太刀、短刀だけでは無く槍や薙刀なども現存しています。
この小太刀來国俊が太刀の中で最小であるのに対し最も大きいと言われている太刀は阿蘇家に伝わる刃長110㎝ある号・蛍丸という太刀がありましたが戦後の日本刀の処分の中で行方不明となってしまいました。

伝説の日本刀:小狐丸

伝説の日本刀:小狐丸 小狐丸は、能の小鍜冶にも歌われている伝説の日本刀です。
それによると、第66代一条帝がある夜に、夢の中で三条宗近に刀を打たせよというおつげを受けたということです。
そして直ぐに橘道成を使者に立てて、勅命を三条小鍜冶宗近に伝えました。
帝の守り刀という重大な任務に対して、仕事に見あった弟子がいないため一旦は断ろうとしたものの、家の向かいにある合槌稲荷神社に一生一代の大仕事の大成を祈願すると、満願に近い夜に稲荷明神の狐が化身した男が現れて、合槌を打ち、打ち上げてできた日本刀が小狐丸ということです。
このように能にも歌われた銘刀ですが、同じ名前の刀がいくつか伝わっています。
このうち現存する2本の刀と、公卿日記に記載されている摂関家の小狐の存在は間違いありません。
能の小鍜冶よりも先に摂関家の相伝があり、すでに1200年頃には藤原摂関家相伝の儀仗刀と一条帝勅命の守刀の伝承が、混合したものだと見られています。