伝説の日本刀:天羽々斬

伝説の日本刀:天羽々斬 天羽々斬は日本刀という概念が生まれるよりも前、日本が日本となるよりも前より伝わる伝説の剣です。
この剣の持ち主はヤマタノオロチの討伐で知られる英雄、須佐之男命であり、まさに須佐之男命がヤマタノオロチを討伐した際に振るわれたのがこの天羽々斬であると伝えられています。
悪行の限りを尽くすヤマタノオロチに酒を飲ませることで眠らせて、眠っている隙に須佐之男命はこの刀を振るってヤマタノオロチの身を切り刻んだのです。
ヤマタノオロチの討伐後のこの剣は石上布都魂神社に祀られたと伝えられており、その後崇神天皇の時代に石上神宮に移されました。
現在でも石上神社には天羽々斬と伝えられる剣が展示されており、全長は約120センチほど、鉄で作られた片刃の刀がこれであるとされています。
この刀は明治11年に行われた禁足地発掘の折に出土したもので、同じく名刀と伝えられる布都御魂剣と共に現在でも本殿に祀られています。
正確な意味でいえば日本刀に分類されない剣ではありますが、日本の刀としてはこれ以上なく歴史を持つ名剣です。

伝説の日本刀:小夜左文字

伝説の日本刀:小夜左文字 日本刀である小夜左文字は、筑前の左文字作の短刀です。
長さは、8寸9厘であり、僅かに反りつく特徴があります。
日本刀は、謂れによって名前が付けられることがあります。
小夜左文字の場合は、遠州にいた浪人の死後に形見である左文字のこの刀をその妻が売りに行く途中に小夜の中山で奪われ、殺されます。
残された遺児は、叔母に育てられ成長してからは研屋に弟子入りをします。
この研屋に左文字を奪った浪人者が担当の研ぎを依頼しに来ます。
弟子は、かねてから聞いていた話と一致するため、短刀を見せてもらい、受け取るなり浪人者にとびかかり刺し殺しました。
時の領主は、この敵討ちの美談からその短刀を召し上げました。
その後、細川幽斎が入手し、小夜の中山を超えることができなかった西行の歌にちなんで名づけられました。
その後、黒田家や浅野家を経て、土井家へと入りました。
昭和11年には重要美術品に認定され、戦後には、重要文化財に指定されています。